関宿まちなみ研究所 HOME Blog Entry,Technical report 風食 ~痕跡を読む①~ 

風食 ~痕跡を読む①~ 


 今、関宿(東海道の宿場町/三重県亀山市)にある研究所のすぐ近くで、古い建物の保存修復工事が行われています。毎日前を通りながら、修理工事が進んでいくのを楽しみに見ているのですが、ちょっと気になる“痕跡”があったのでご紹介します。

そもそも“痕跡”とは

 “痕跡”とは、一般には「過去に何事かがあったことが分かるようなあと」のことですが、 古い建物を研究する学者さんや保存修復に関わる技術者の間では特別な意味で使われています。

 木で作られた建物は様々な部材を組み合わせて作られています。部材と部材を組み合わせる時には、それぞれの部材に何らかの加工が施されます。こうした二つの部材を合わせる加工のことを“継手(つぎて)・仕口(しくち)”と言います。この加工は、組み合わさっている状態では部材と部材の間に隠れてしまっていて見ることができません。しかし、改修等が行われて合わさった部材の一方が取り外されると、もう一方の部材の加工の痕が露わになります。これが“痕跡”です。つまり、「以前この場所に何らかの部材が組み合わされていたことが分かる痕」という訳です。

 古い建物の成り立ちや変遷を読み解く手がかりとなるものには様々なものがあります。図面・絵画・写真・古文書・言い伝え・周辺の類似する建物などです。しかし、これらは事実を間接的に推測させる「状況証拠」にしかなりえません。その点、その建物に現に存在する“痕跡”は「物的証拠」と言えるものです。

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庇の桁に残る幕板の痕跡

 この写真は、関宿の町家の庇を支える「庇桁(ひさしけた)」「出桁(でけた・だしけた)」などと言われる部材の一部です。関宿の町家では、一階と二階との間に庇が付いています。庇は、建物から前に突き出された腕木の先に桁をのせ、建物の壁面と桁との間に屋根を渡しています。

 関宿の町家の特徴的な前面意匠として「幕板(まくいた)」というものがあります。幕板は、建物の前面、庇の桁に取り付けられた幕状の板で、開放的なミセ先に雨露が入り込むのを防ぐ装置と言われています。この部材で確認できる″痕跡”は、実はこの「幕板」に関わる痕跡なのです。

 幕板は、関宿の多くの町家にあるにもかかわらず、「いつ頃から取り入れられたものなのか」とか、「どのように変化・発展していったのか」がはっきりとはわかっていません。そんなわけで、当研究所でも興味・関心を寄せているもののひとつで、特に目についたという訳です。

「幕板」について詳しくお知りになりたい方はこちらもご覧ください。
「窓付きの”幕板(まくいた)”」
@関宿まちなみ・町家暮らし

″風食”

 さて、この写真で目立っている痕跡は「風食(ふうしょく)」と呼ばれるものです。

 風食とは、建物の外部に面した部材に生ずる痕跡なのですが、風食を理解していただくためには、まず木材の成長の仕方を知っていただかなくてはなりません。

 木材に年輪があることはご存知のことと思います。年輪は木材の夏と冬の成長の違いから生じています。木は夏には早く、冬にはゆっくりと成長します。 年輪では、夏に成長した部分は「夏目(なつめ)」と呼ばれ、幅が広く、色が薄く、密度が低いため少し柔らかです。一方、冬に成長した部分は「冬目」と呼ばれ、幅は狭く、色が濃く、密度が高いため少し硬くなります。年輪ではこの「夏目」と「冬目」をひとまとめにして1年と勘定する訳です。

 山の木は伐り出され、製材されて材木となり、建物に使われます。建築に使用する材料としては木を輪切りにすることはめったになく、むしろ木を長い方向に整形します。この時、年輪は「木目(もくめ)」と呼ばれる模様となって現れてきます。木目は地と線で構成されますが「夏目」が“地”、「冬目」が“線”となります。

 材木が建物の外部に面した場所で使われると、材木自体が膨張収縮を繰り返し、加えて風雨に曝されて表面が浸食されます。長い間これが繰り返されることによって、夏目は削られて表面が荒くなり、冬目は収縮によりさらに硬くなって、夏目と冬目との違いがよりはっきりと表れてきます。これが″痕跡”としての“風食”です。

 当然、風食は雨風に曝された度合いが強いと大きくなります。材種や気象条件によっても風食度合いは違ってきますから相対的な判断しかできませんが、風食が大きければそれだけ風雨に曝された期間が長いということになります(人間に例えるならば、“顔のシワ”と言ったところでしょうか)。見た目では区別がつかず、指で材の表面をなぞってはじめてわかるという場合もあります。

 いずれにしろ、風食は建物の外部に面した(あるいはよく風が通る)部分にしかできません。このことから、風食があるということは、その場所が建物の外面(あるいはそれに近い場所)であったことを物語る痕跡なのです。

この痕跡からわかること

 写真の材を見ていただくと、材の表面は冬目がはっきりとしていて風食が強く出ています。つまり比較的長い期間、外部に面した場所にあった部材だということです。庇の桁ですから当然と言えば当然のことで、これだけでは面白くも何ともありません。

 注目されるのは、写真中ほどに赤みを帯びた、先が尖った尖塔アーチのような形になっている部分があることです。これは、ここに何らか部材が取り付いていたことを示す痕跡で「アタリ」(部材がくっついていた。当たっていたという意味です。)と言います。アタリ部分には風食が無く(あっても一部でごく僅か)、周囲と風食度合いが大きく違っています。痕跡としてはこのことこそが重要なのです。

 アタリの風食が無い(あっても一部でごく僅か)ということは、この庇桁に部材が取り付けられたのは庇桁に風食が生ずる以前であることがはっきりするからです。風食が生ずる以前とは、つまりは庇桁が新品の時=建物が建てられた時ということで、建物が建てられた当初の状態が痕跡として残っているということになります。

 アタリの部分が赤茶けているのもこうした解釈を補強してくれます。この赤茶けた部分は新築時に施されたベンガラ塗装が残っている(他の部分は風雨により流れてしまったがアタリ部分だけは取り付いた部材が密着していたために残った)ためと考えられます。

 もし、アタリ部分の風食が大きければ、庇桁に風食が生じた後に何らかの部材が取り付けられたということになり、建築後のある時点での改造の痕跡ということになります。

 アタリはこの風食度合いの違いからはっきりと表れており、アタリの形状からここに取り付いていた部材の形や大きさも知ることができますし、アタリの中央にある角釘穴から、ここに取り付けられていた部材が幕板を構成した「桟木(さんぎ)」であることがはっきりとします。

 このアタリと重なるようにすぐ右隣には別のアタリがあります。左のアタリを右のアタリが重なることで曖昧にしており、右のアタリが新しい痕跡であることが明らかです。右のアタリは、修復工事まで庇に付けられていた幕板のものなので、出来立てほやほやの痕跡ということになります。

 他にも、釘穴など説明しなければならない痕跡がありますが、次の機会にさせていただきます。

これです。これ。幕板の桟木

ひそかな楽しみ・・・

 さて、先に書いた幕板への当研究所の興味・関心から言えば、この痕跡から次のことがはっきりとします。

  • この家では、建築当初から幕板が取り付けられていたこと。
  • 幕板の形式は竪桟・横板型のものであったこと。
  • 当初の幕板はある時期に取り外され、新しい幕板に取り換えられたこと。
  • 新しい幕板も当初幕板と同じ、竪桟・横板型であったこと。

 絶対的な年代は痕跡からだけでは分かりませんが、変遷の過程は把握することができました。一軒一軒から分かるのはこれくらいのことなのですが、関宿のまちなみには多くの幕板がありますから、一つひとつを注意深く見ながら、事例を積み上げていけばもっと見えてくるものもあるのではないかと、ひそかに興味を深めているところです。

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