関宿まちなみ研究所 HOME Blog Entry,Technical report 建物を見渡す ~痕跡を読む(case4-6)~

建物を見渡す ~痕跡を読む(case4-6)~


 「赤レンガ商家」は、赤岡町本町と江見町の境、本町側にあります。街道と、街道から赤岡小学校方面に北に入る道との角地北東側にあって、ほぼ正方形に近い敷地をしています。主屋は敷地の東側に寄せて建てられており、道路に面した残りの北面と西面は瓦を載せたイギリス積のレンガ塀が巡らされています。また、レンガ塀の北側には西側の道路に面して土蔵が接続しています。レンガ塀には、北面と西面にそれぞれ出入口が設けられています。北面の出入口は木造の棟門がはめ込まれており、庭を経て主屋突出部にある座敷に至ります。一方、西面の出入口は塀内にレンガでアーチを組み内側に木製の扉が付けられており、土蔵の戸口前に至ります。

 敷地裏側は空地になっていますが、小松与右衛門は酒造業を営んでいたということですから、この部分にも蔵などがあったのではないかと思われますが、定かではありません。敷地の街道に面した間口は25m余り(約13間)もありますので、2~3つの屋敷が合わさっているかもしれません。


主屋の間取

 主屋は敷地の東側に、街道に面して正面を北にして建てられています。主体部は正面から見るだけでも間口が7間余り(約13m)あり、さらに西側に間口2間半余り(約5m)の突出部がレンガ塀の背後に取り付いています。奥行も6間余り(約11m)ありますので、かなり規模の大きな町家です。

 平面は、通り土間2列型の町家を中央にして、上手(かみて)に座敷が、下手(しもて)に広い土間が付属した形と言えば分かり易いでしょうか。「通り土間」とは町家で建物の正面から裏手まで通り抜けることができる土間のことです。隣の建物と接して建てられることが多い町家に特徴的な土間と言うことができます。この通り土間と平行に並ぶ居室が並ぶのですが、居室が1列の場合は「通り土間1列型」、2列の場合は「通り土間2列型」と呼ばれています。通りに面した建物前面が「みせの間」で、奥側は茶の間や勝手、納戸などとして使われていたと思われます。通り土間は主屋とは別棟の「かって」につながっています。

 上手に接続した座敷は、床の間・床脇を備えた正式な「座敷」と「次の間」の2室が南北に並ぶ「続き間座敷」で、「次の間」の北面には玄関の役割を果たす切目縁(きりめえん)が設けられています。下手は間口2間半(約4.5m)、奥行5間半(約11m)にも及ぶ広い土間です。上部は吹き抜けで小屋組が露になったており、見る者を圧倒するような大空間になっています。

わからない暮らしぶり

 さて、主屋は小松与右衛門により明治時代の初めころに建築されたとされています。小松与右衛門は弘化元年(1844)の生まれで、赤岡にあった寺尾酒造に奉公に入り、後に酒造家として独立し、明治23年(1890)には赤岡村の初代村長になっています。小松与右衛門の成長と主屋の建築との関係に年代的な矛盾は無いようには思えます。しかし、建築年の確かな記録は確認されていませんから、小松与右衛門が独立時にすでに建っていた建物を取得した可能性や、酒造家あるいは村長としてさらに経済力を蓄えた後に建築した可能性も頭の片隅に残しておく必要があります。

 「特定非営利活動法人 すてきなまち・赤岡プロジェクト」の公式サイトには、「赤レンガ商家」は大正15年(1926)に隣家から宗石楠治が移り住み、当時はまだ珍しかった誂えの靴屋「宗石靴屋」を開店したとあります。また、2代目は戦後タバコ屋を始めたとも書かれています。現在の「店の間」はすべてが土間で、西の壁には靴製造用の道具が所狭しと並べられています。街道に面した前面もアルミサッシが入れられていて大きく開放することができるようになっており、一部にはタバコ販売用のショーウィンドウも残っています。「赤レンガ商家」の現在の姿は、「宗石靴屋」として使われていた当時の状況を伝えているといって良いと思われます。

 しかし残念なことに、小松与右衛門が亡くなる明治44年(1911)まで、この家でどのような暮らしをしていたのかという情報は現在のところ全く得られていません。建物に残る様々な改造の痕跡は、小松与右衛門がどのような想いで「赤レンガ商家」を建て、どのように暮らしていたのかを知る唯一の手掛かりになるのかもしれません。そんな思いを持ちながら、与右衛門が残してくれたヒントを拾い集めることにします。


「赤レンガ商家」の現在

 現在「赤レンガ商家」を所有されているのは、「特定非営利活動法人 すてきなまち・赤岡プロジェクト」です。

特定非営利活動法人 すてきなまち・赤岡プロジェクト
高知県香南市赤岡町において、地域交流拠点・赤れんが商家を核として、町家の保全・活用、絵金文化の継承、まちづくりの担い手育成に取り組む団体です。

 「赤れんが商家」は平成23年(2011)まで靴屋として使われていましたが、平成25年(2013)2月、主屋が解体されることになりました。しかし、解体に着手される2日前に、地域住民や市職員の声かけによって解体は取りやめとなり、滅失を免れました。

 平成26年12月には、高知高専・(公社)高知県建築士会を主体とする「絵金のまち・赤岡町家再生活用プロジェクト」が発足して、建物の維持・復旧や、建物を知ってもらうためのイベント等の取り組みが地域住民らをサポートする形で始まり、 平成29年6月には地域を主体として「赤れんが商家」を拠点とした地域づくりを目指す「すてきなまち・赤岡プロジェクト」が発足し、令和3年8月には「特定非営利活動法人 すてきなまち・赤岡プロジェクト」として認証を受けています。すでに10年以上にわたる保存・再生に向けた取り組みが続けられています。

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