私が初めて関宿を訪れたのは、1984年(昭和59年)の年末のことでした。大学3年の時です。名古屋でサークルの会合を終えた後、帰省の途中、亀山市にあった大学(建築学科)の先輩の実家に宿泊させていただいた折でした。まだ遊び盛りの大学生でしたから、先輩の家では徹夜でマージャンをした後、帰途につくまでのひと時、隣町の関町まで案内していただいたのでした。
関宿は、昭和59年12月10日に重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。訪れたのが年末ですから、まさに選定されたばかりの時ということになります。私は大学1年の時から歴史的な建造物の保存に関心があり、旅行と言えば古い建物や町並みを見て回っていました。先輩もそのことを知っていて、最近重要伝統的建造物群保存地区に選定された「関宿」を見せてくれたのだと記憶しています。
※そういえば、この時有松(愛知県名古屋市)にも初めて行ったことを思い出しました。
関宿へは亀山から国道1号を通って西へ向かっています。国道1号から旧東海道が分岐する小野の入口を記憶してるからです。この入口が印象深く記憶に残っているのは、おそらく古い町並みに入っていくというそれなりの趣きがあったからだと思います。
東追分あたりからカメラ片手にまちなみをブラブラと散策し、地蔵院あたりまで歩いた後、まちなみを北に抜けて関町役場(現亀山市役所関支所)の駐車場まで行きました。いやに新しく立派な建物だった印象が残っています。
※関町役場庁舎は昭和59年に建築されています。その時受けた印象は間違ってはいないようです。
さて、まちなみの印象はと言われれば、いやに長い町並みであることと、まちなみの真ん中に大きな寺があることが印象としてありますが、町並みそのものには正直あまり強い印象は残っていません。
冬の寒い時期でしたし、知る人ぞ知るといった町でしたのでもちろん観光客もいません。今から考えれば、そんな活気のなさが印象を弱めたのかもしれません。むしろ帰省のためにJRに乗り込んだ亀山駅の雑踏と、駅周辺の交通渋滞などが断片的に記憶に残っているくらいです。
そんなわけで、まさかその10年程後に、この町に暮らすことになろうとは思いもしませんでした。
※写真は1984年の関宿