case4-1では屋内(座敷への上がり口)にあった造り付けの格子について、そして、case4-2ではその格子の前面にあった二階への上がり口について書きました。case4-3となる今回は二階への上がり口についてもう少し深堀をしてみたいと思います。
case4の建物は、引き続き高知県香南市赤岡にある「赤レンガ商家」(旧小松与右衛門邸)です。
※「赤レンガ商家」(旧小松与右衛門邸)については、下記をご覧ください。
特定非営利活動法人 すてきなまち・赤岡プロジェクト 高知県香南市赤岡町において、地域交流拠点・赤れんが商家を核として、町家の保全・活用、絵金文化の継承、まちづくりの担い手育成に取り組む団体です。 |
※case4-1 「座敷の上がり口に造り付けられた格子 ~痕跡を読む(case4-1)~」は下記よりご覧ください。
※case4-2 「二階への上がり口 ~痕跡を読む(case4-2)~」は下記よりご覧ください。
ミセから二階への上がり口は3カ所
case4-2で取り上げた二階への上がり口は、建築当初に造られたものですが、建築されて以降現在までの間のどこかの段階で撤去されています。では、この上がり口が撤去された後はどこから二階に上がっていたのでしょうか。
まずは現在二階への上がり口として使われている場所を探すことにします。これは、現在も実際に使われているわけですから探すのは容易です。case4-1の格子のすぐ左手(上手)に「箱階段(はこかいだん)」が置かれていました。
二階への上がり口にも様々な形式があります。上がるための道具としては「階段」や、戸棚を兼ねて作られた「箱階段(はこかいだん)」があります。常設のものはなく必要に応じて梯子を掛けるといった使い方もあります。「階段」でも据え付け型で動かないものもあれば、二階との接点に丁番を付けて使わない時には二階床(一階天井)から吊り下げておく可動式のものもあります。
現在上がり口として使われている場所は、箱階段の上はcase4-2でも書いた通り大引が四角く仕切られていて、二階の床板はなく大きく口を開けています。ただ、大引の間に横方向に引く板戸が仕込まれていて、上がり口をふさぐことができるようになっています。また、上がり口の周りには手摺も取り付けられています。これらは、大切なものを保管した二階の保安上の理由とともに、口が常時開いていると落とし穴のようで危険なため、転落防止の意味もあったと思われます。この上がり口の枠を作る差鴨居や大引には、大引を撤去した痕跡(大引の埋木)もあることから、上がり口の大きさなどが変更されている可能性はありますが、上がり口自体は建築当初からあったと考えられます。
さらに、ミセ上部の天井(二階床)をもう一度注意して見てみると、土間の最も下手で、なんと三つ目の上がり口を発見しました。大引に囲まれた四角い区画の中で床板の古さが大きく違っています。case4-2と同じ階段を取り付けるための横架材や、上がり口をふさぐ建具を載せるための部材の痕もあり、この個所が建築当初から二階への上がり口であったことは間違いありません。
※詳細は再度建物の痕跡を再度確認したいと思います。
以上から、ミセの間周りに3カ所の二階への上がり口があったことになります。規模の大きな建物のミセの間とはいえ、二階への上がり口が、建築当初から同時に3か所も使われていたことはどうにも納得しにくいところです。
二階へ上がってみる
そこで、現在も使われている箱階段で二階へ上がってみることにしました。
二階は、建物奥行きいっぱいに大きな部屋のようになっていて、上部は太い梁組とともに屋根を作る垂木や野地板まで見えています。貫を見せた漆喰塗仕上げの壁がとても印象的です。
※垂木や野地板など、白い(新しい)ところは「すてきなまち・赤岡プロジェクト」さんの活動で修復が行われた部分です。
二階をひととおり見ていると、柱に土壁の痕跡がむき出しになっているのに気が付きました。中ほどの高さにある丸太梁は切断されているように見えます。そこでこの柱と対面する位置にある建物前面の柱を見てみると、柱には土壁であったことを示す貫穴と小舞穴があり、さらに柱と登梁との接合部には丸太梁が入っていたことを示すほぞ穴・大入穴がり、現在の登梁はその丸太梁を撤去した後に入れられています。このことから、建築当初は丸太梁が建物の前面まで通っており、梁の上下に土壁が付けられていたことが分かります。
ある時期に土壁を撤去し、丸太梁を切断し、その代わりとして登梁を入れるという大きな改造が行われたのです。
建築当初、二階は、奥行を建物の大きさいっぱいに使いながら、間口方向に3つに土壁で仕切っていたということになります。二階への上がり口が建築当初から3カ所あったことも、二階(ミセ上部)が大きく3つに区切られていたため、それぞれの区画への上がり口として必要だったということが理解できました。
瓢箪から駒
この二階の改造では、建築当初からある丸太梁を切断し、「登梁(のぼりばり)」を入れています。登梁は、町家や土蔵などで、屋根裏を効率的に活用するため、梁の一方(内側)を高くして斜めにかける梁のことです。
切断された丸太梁は人の背よりも低い高さにあり、土壁を撤去して部屋は広くなったとしても、二階を行き来するためには邪魔な高さにありました。このため、丸太梁を切断し、その代わりに登梁を入れたのだと考えられます。
切断された丸太梁は、建物の奥行約5間(約10メートル)程の長さを、正面桁の高さで、正面側を「元(もと)」(木材の根元に近い側)、裏側を「末(すえ)」(「元」の逆)にして一本で渡されています。間口方向ではほぼ2間間隔で規則的に配置されており、この建物の大きな構造的な特徴ということができます。
ミセ上部が大きく3つに区切られていたことは、この建物のこうした構造的な特徴からと理解できます。一方、梁の切断などの改造は、二階を広く使うため行き来しやすくするために行われたものと解釈できます。
case4-2で紹介した二階への上がり口が取り払われたのは、二階で改造が行われて2つの区画を合わせて広く使うようになった結果、二階への上がり口のうちの一つが必要なくなったのだと解釈できます。また、ミセからの上がり口が取り払われ、座敷からの上がり口が残された点は、広く使うようになった二階の使い方を暗示しているようにも感じられます。
座敷への上がり口に造り付けられた格子(case4-1)、その前にあった階段(case4-2)、そして二階を広く使うための改造(case4-3)、それぞれ関係なさそうに思える個別の改造が、建物の変遷としてつながってきそうな予感がしてきました。
この調子で次へと進んでいくことにします。
(つづく)
~シリーズ 痕跡を読む~