ひとしきり町を散策していると、なんだか雲行きが怪しくなってきたので再び建物に戻ることにしました。建物の前まで戻って来てふと思ったんです。「ところで、この建物の本来の入口はどこなんだろう?」って。
「赤レンガ商家」の正面は、現在アルミサッシが間口全体に入れられていて、さらにその前面が鋼製雨戸でおおわれています。土蔵造りや塗屋造りの町家には、下屋の前面に防火的な措置を施した建具を全面に入れるものがあります。「赤レンガ商家」は両側面が漆喰で塗り籠められた塗屋造りで、下屋の軒裏も漆喰で塗り籠められていますから、現在の鋼製雨戸はその名残りなのかもしれないなどと思考を巡らしながら、アルミサッシを開けて建物の中に入っていきました。
というわけで、今回は「赤レンガ商家」の主要な出入口、「大戸口」を探します。
大戸口の位置
「大戸口(おおとぐち・おおどくち)」とは、民家の正面にある建物への主要な出入口のことです。通り土間がある町家では、大戸口は通り土間につながっています。そして、柱間全体を開けられるように他より大きな建具(「大戸」(おおど))を取り付け、人の出入りとともに大きな荷物の出し入れが便利なようにされています。
では、「赤レンガ商家」の大戸口を、通り土間の正面辺りに目星をつけて探し始めることにします。
写真(写真①)は、通り土間正面より1間西側の柱間部分なのですが、上部の梁の高さを比べると中央の柱間だけ少し低い位置に梁が入れられていることが分かります。
建物前面の2階の壁が乗る柱筋(桁筋)には、写真のように成の高い梁が入れられます。2階部分の荷重をしっかりと受けるとともに、建物の前面をできるだけ大きく開放するためです。この成のある梁の垂直方向の位置は、人が立って通ることができる程度の高さを確保しなければならないために床の高さに対応しています。梁が高い位置に入れられている場合にはその下には床があり(※こうした高さを「床高(ゆかだか)」といいます。)、梁が低い位置に入れられているということはその下が土間である(※こうした高さを「土間高(どまだか)」といいます。)と考えることができます。
つまり、写真中央の柱間には土間高で梁が入れられていることになります。中央の柱間の下の部分を見ると、土間と上端をそろえて延石が入れられています。この延石は敷居の役割を担うものです。こうしたことから、この写真中央の柱間が大戸口であったと考えてよさそうです。
大戸の形式
位置が分かれば次は大戸の形式です。
大戸には、戸の開け方の違いから扉式、引き戸式、吊り上げ式、摺り上げ式等の形式があります。大戸口を構成する柱・梁から大戸に関係する痕跡を探します。
まず、梁の側面には特に関係のある痕跡はなさそうで、吊り上げ式や摺り上げ式の可能性は消えそうです。右側の柱を慎重に見てみると、金具を打ち込んだと思われる長方形の穴2つが上下に並んで見つかりました(写真②)。下の方へ辿っていくと同じ形の穴があります(写真③)。いずれも打ち込まれていたはずの金具は残っていませんが、穴の形から推測すると、比較的厚みのある金具で、上下方向に長く使われており、重さのあるものを支えるために使われたと推測でき、扉式の大戸を吊る「肘壺(ひじつぼ)」金具と考えられます。肘壺は扉の枠と柱にそれぞれ打ち付ける扉の開閉用具で、蝶番(ちょうつがい)の役割を果たします。2つの穴が組になっているのは、それぞれの穴の位置に肘壺を打ち、その間に扉枠の肘壺を差し込み、上から軸となる金物を落として止めたのでしょう。このことから、「赤レンガ商家」の大戸口は扉式の大戸であったと考えて間違いはなさそうです。
左側の柱も見ることにします。左の柱が乗る礎石には延石と揃う位置で四角く角がはつられています。大戸を閉めた時の戸当たりと思われます。柱を上へと辿っていくと柱の中ほどの高さに角釘穴が2つありました。これは大戸の鍵の役割を果たす「閂(かんぬき)」を通す金具が打ち込まれていた穴と思われます。
肘壺、閂止め金具、礎石の戸当たり、これらがセットで確認できましたから、右手(西側)の柱を起点とした扉式の大戸であったと判断できます。そして、礎石に戸当たりの加工が施されていることや、他の形式の大戸の痕跡が確認できないことから、建築当初のものと考えられます。
本シリーズの過去の投稿「セットで読み解く大戸口 吊り大戸 ~痕跡を読む(case3)~」では、吊り上げ式の「吊り大戸」の痕跡について解説しています。
使い勝手の悪そうな大戸
上記の通り「赤レンガ商家」の大戸口の位置と大戸の形式が明らかになりました。ただ、少し気になることがあります。
扉式の大戸ですから、西の柱を支点として回転させて開きます。もし180°回転させるとすると、半径1間(約1.9メートル)の半円形の空地を確保しておく必要があります。そして、扉を開いた状態では幅1間の壁ができたのと同じことで、建物の前面を屋内側から1間分隠してしまうことになります。90°回転させる場合はもともと土間の部分なので物を置くことはないにしても、大戸を開放した状態だとミセの間を隠してしまうことになります。いずれにしろ使い勝手はあまりよさそうにはありません。
特に根拠があるわけではありませんが、この扉式の大戸を開ける機会があまりなかったのではないかと推測します。大戸には潜り戸が付きますので、日常的な人の出入りは潜り戸で行われたのでしょう。そして大きな荷物の出し入れが必要な時だけ大戸を開けたのではないかと思われます。あるいは、大きな荷物を出し入れできる別の出入口があったのかもしれません。
「赤レンガ商家」での往時の暮らしに少し迫ることができるかもしれません。そんな思いを持ちながら、次へと進んでいきます。