関宿まちなみ研究所 HOME Blog Entry,Technical report 勝手口周りの“変遷” ~痕跡を読む(case2-4)~

勝手口周りの“変遷” ~痕跡を読む(case2-4)~


 勝手口周りの各部分の“変化”が整理できたところで、これらをまとめて勝手口周りの“変遷”として捉え直しをしたいと思います。

 お話を進める前に、”変化”と”変遷”の違いについて、私なりの解釈を加えておきたいと思います。辞書を調べると、“変化”は「性質や状態などが変わること」、”変遷”は「時の流れとともに移り変わること」と説明されています。痕跡を読み込むことでわかるのは、建物の部分部分で起こったある時点での“変化”です。建物の変化は何の理由もなく起こることはありません。建物の変化には、社会・経済・文化・建築技術・生活など様々な要因があります。しかし、建物の部分部分の変化からこうした時代的な背景までをも読み取ることは極めて難しいことです。そこで、建物の部分部分で起こった変化を、建物全体として整理し直し、“時の流れ”として捉え直す必要があるのです。これが“変遷”です。「なぜこの部分は改造されたのか?」「改造によりどのような生活の変化が起こったのか?」といった問いかけに対しては、建物の“変遷”が把握できてこそはじめて答えを見出すことができる。と考えています。


case2の1~3は、下記からご覧ください。

「壁・風食 ~痕跡を読む(case2-1)~」
「井戸の水を汲むための扉 ~痕跡を読む(case2-2)~」
「建築当初の勝手口周りを復原してみた ~痕跡を読む(case2-3)~」

勝手口周りの変遷

 これまで、勝手口周りを3つの部分に分けてその変化を見てきましたが、これを勝手口周りの変遷として整理したのが下の表です。

中央の壁(case2-1左手の壁(case2-2右手の勝手口(case2-3
(1)土壁。壁の外側は建物外部に面していた。(1)建築当初は土壁だった(推測)。(1)開口部の半分を戸袋とし、半分に板戸・障子戸を入れていた。
(2)土壁の一部を崩し、鴨居・敷居を入れて開口部とし、扉を入れた。
(2)土壁が取り払われた。(3)扉を外し、鴨居・敷居を取って再び土壁とした。(2)戸袋・建具を外した。

 上段は前稿(case2-3)で整理したこの建物が建てられた当初の状態です。中段は左手の壁だけで起こった変化で、下段は3つの部分で共通して起こった変化です。

 これを時期区分(建築当初・2次・3次)を設定し、時期ごとの勝手口周りの状態を整理すると下記のとおりです。

建築当初:左手・中央は土壁で、右手は開口部であるが、半分は戸袋である。戸袋上部に窓が設けられている。井戸は屋外にある。奥に続く附属屋はまだ建てられていない。

2次:左手の土壁の一部を取り払い扉が付けられて屋内から屋外にある井戸の水を汲めるようになる。

3次:奥に附属屋が建てられて井戸が屋内に取り込まれる。屋内となったため、勝手口の戸袋・建具が外され、中央の壁も取り払われた。半面、屋内から水を汲むための扉は必要性がなくなって土壁へと戻された。

※3次の各部分が同時に行われたかどうかは不明ですが、附属屋が接続されたことを契機として行われた一連の改造と考えることができます。


変遷の背景を考えてみた

 では、このような変遷の背景は何だったのでしょうか。

 特に勝手口周り全体を対象とした大きな改造である3次について考えてみると、主屋の奥に附属屋が接続されたことを契機として、通り土間が奥方向に延長され、延長された場所にかまどや流しが設けられています。また、井戸が屋内に取り込まれます。改造以前は勝手口の手前側(写真では暗い部分)が”かって”として使われていたはずですから、この改造が、かってを奥に移動し、拡げ、井戸と流しをつなげてるなど機能の向上が図られた、「かっての拡充」と理解できます。

 「かっての拡充」という意味では、2次改造で行われた「屋内から水か汲める扉の設置」も同じ改造理由と考えてよく、勝手口周りでは、建築以降、機能性の向上が順次図られていたことが分かります。また、3次で大きく拡充されたことの背景には、機能充実への要求だけでなくこの建物に生活する家族や使用人の増加なども背景にあったのではないかと推測されるところです。

 こう考えると、綺麗だなと思って何の気なく撮った1枚の写真が、建物の変遷の一コマを的確に捉えた写真だったんだと自画自賛してしまうのであります(自分の撮った写真を褒めてもらった経験がないのです)。

~シリーズ 痕跡を読む~

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