case4-3で二階の改造の痕跡を確認したとき、気になったことがありました。壁の作り方です。
この写真は、「赤レンガ商家」の土間上の吹き抜けです。長く渡された梁組も立派なものですが、壁に注目すると柱が半間おきに並び、それを横に繋ぐ「貫(ぬき)」が幾段にも通されていています。整然と配置された柱や貫は圧倒的な存在感で、まさに構造美。安定感があります。
今回(case4-4)は、この土壁について取り上げることにします。
貫(ぬき)を見せる壁の作り方
貫は柱と柱を横につないでいる材のことです。柱に貫を通すための「貫穴(ぬきあな)」をあけ、柱数本を幾段かで貫き通すことで柱を固定します。貫にはもう一つ役割があります。土壁を支えることです。土壁は、竹を縦横に組んで縄で結った「小舞(こまい)」に、練った壁土を押し込むように塗り込んで作られます。土壁は乾燥により固く締まっていきますが、壁土の中の竹小舞には土壁を自立させるだけの力がないため、壁は自らの重みで下部が潰れたり壁自体が倒れてしまったりします。これを防ぐ役割を持つのが柱や貫です。竹小舞を柱に釘で打ち止めたり、貫に縄で縛りつけたりすることで、柱・貫・土壁を一体化するわけです。このため、貫は壁の中に隠れてしまうことが多く、建物内部からは見えないことの方が多いのです。
貫が等間隔で重なって見えるこの壁は一見頑丈そうに見えますが、構造的には不利な点が多いように思えます。まず、貫と竹小舞とを縄で緊結することができないので、壁を十分に引き寄せて固定することができませんし、壁の荷重が十分に貫には伝わりません。次に、貫は柱の中心にありますから、貫を見せるということは土壁の中心が柱の中心からずれてしまうことになります。これも構造上は不利なことです。
構造的には不利な点が生ずることを知りながら、意図して行われたとすれば、見た時の安定感が優先されたと考えるしかありません。貫の間の壁が漆喰で仕上げられていることや、下の写真のように梁があって本来貫を通さなくてもよい場所に貫が入れられている点からも、内側からの見え方が強く意識されたと考えてよさそうです。
塗屋造り(ぬりやづくり)の大壁
この建物はいわゆる「塗屋造り(ぬりやづくり)」と呼ばれるものです。塗屋造りとは、外壁を土や漆喰で厚く塗り、柱を塗り込んだ家の造りのことです。外壁を土や漆喰で厚く塗った建物としては土蔵がありますが、土蔵で行われた防火のための工夫を町家に取り入れたのが塗屋造りです。
塗屋造りでは、建物の外周を土や漆喰で塗り籠めます。写真の壁は妻壁(つまり隣家との境をなす壁)で、見えている壁の裏(外)側は土を塗籠めた大壁になっています。大壁では柱の外側を包み込むように土壁が塗られるため壁は厚くなりますが、壁の中心は柱よりも外になるので、貫を見せることも可能です。土蔵の内壁がこのような仕上げになっているものを見たことがあるような気がします。
「赤レンガ商家」の妻壁も、土間の吹き抜けを美しく、かつ構造的にも安定感があるように見せようとしたことに間違いはありませんが、塗屋造りの町家としては特別なものではないのかもしれない、と一旦は勝手に納得していました。
ところが、二階に上がってみると、そんな勝手な納得が吹っ飛びました。真壁(しんかべ)であるはずの二階の壁で貫があらわになっていたからです。
取り払われた土壁の痕跡
下の2枚の写真は、case4-3で書いた二階の壁が取り払われた部分の壁の痕跡なのですが、左(上)の写真では、貫の左側の面と壁アタリの位置が一致していて、貫が見えていたことが分かります。一方、右(下)の写真では、貫は壁アタリのほぼ中央にあって、貫の両側に壁が付いていた(つまり壁に隠れて貫は見えなかった)ことが分かります。
左(上)は、丸太梁より上、右(下)は丸太梁より下の部分の痕跡です。つまり同じ場所の壁で、丸太梁の上と下で土壁の作り方が違っているわけです。
こうした違いは、二階の各室の室内意匠にも違いを出しています。
丸太梁より下では、貫が壁の中に入るためどちら側の部屋から見ても同じに見えますが、丸太梁より上では貫が見える側と貫が見えない側ができています。
土間の吹き抜けでは意匠上の理由、そして塗屋造りの大壁であったことから納得することができたのですが、間仕切壁(真壁)で、それも物置程度にしか使われていないはずの二階ということになると、貫を見せること、丸太梁の上下で壁の作り方を変えていることについて、全く説明が付きません。
現段階では、こうした違いが何を意味しているのかは全く分からないというしかありません。私はまだ、高知では古い町家をあまり多くは見ていません。いや見ていたとしてもあまり気にして見ていません。この点については少し個人的なテーマとして、これからも気を付けてみていきたいと考えています。
(つづく)
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